東京高等裁判所 平成9年(う)115号 判決
被告人 橋本和夫
〔抄 録〕
四 原判決は、証拠を注意深く検討した上で、被告人がパラノイアに罹患していることを含めて右鑑定の結果を採用しなかった。その理由は、被告人は、捜査段階、公判段階を通じて本件文書の記載内容が真実であるとの主張をしておらず、かえって捜査段階では自己の考えが絶対正しいとは考えてはいないことを窺わせる供述をし、公判廷でも罪状認否では文書内容の虚偽性を認めて争わず、その後もこれが真実であるとの供述は一切していないから、右の事実が真実であるとの妄想を抱いていたといえないことは明らかであり、右鑑定は前提を欠くというものであった。
ところで、犯行当時の被告人の精神状態が心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であるから、専ら裁判所の判断に委ねられていることは当然である。しかし、その前提となる被告人が犯行当時精神病に罹患していたかどうかは事実問題であり、この点について精神医学者等専門家の鑑定を得たときは、その精神医学的診断の資料となった客観的諸事実について誤りがなく、かつ、首肯し得る合理的方法でそれらの診断が行われたものである限り、その方面の専門家でない裁判官としては、その精神医学的診断の結果を一応は尊重すべきところと思われる。そのような観点からみるとき、石黒鑑定人の鑑定結果を採用しなかった原審裁判所の前記判断には、それなりに合理性を有するところも認められるが、当裁判所としては、なお念のため、まず、石黒鑑定人から証人ないし鑑定人として当審公判廷で一層詳しくその意見等を聴取した上で、更に、慶應義塾大学病院精神神経科医師保崎秀夫を鑑定人に選任して「被告人の本件名誉毀損の犯行当時の精神状態」について鑑定を求め、同鑑定人から「強姦致傷、準強姦、名誉毀損被告事件被告人橋本和夫精神鑑定書」の提出を受けるともに、同人からも証人ないし鑑定人として公判廷で直接意見等を聴取した。これらの結果もふまえ、以下、被告人の当時の精神状態について検討する。
五 まず、被告人に、激しい攻撃性、執拗さ、追及の厳しさ、好訴的傾向等、パラノイアを疑わせる性格的偏りがあること、今回の一連の事件の原因が長年愛人関係にあった悦子から一方的に交際を拒絶されたことにあることについては、両鑑定とも基本的に一致している。
その上で、石黒鑑定は、被告人はパラノイアに罹患していたといい、保崎鑑定は、そうではないという。そして、右に述べた両者の認識の一致点等に照らすと、その診断の違いは、結局、高塩武一と海老原建設との間に不正行為があったとする被告人の考えが訂正不能の妄想であるかどうかの点にかかっていると考えられる(石黒鑑定はこれを妄想と判断し、保崎鑑定では妄想とはいえないと判断している。)。
そこで、この点について更に検討するのに、石黒鑑定は、被告人の前記考えを妄想と判断した根拠として、<1>被告人は、前記のように平成四年九月二八日武一が海老原建設から受領している金員は正当な役員報酬であると説明を受け、また、同五年三月ころ、海老原建設を訪れた際、そこに武一がおり、同社の従業員から、武一は従前から同社に顔を出しているとの説明を受けたのに、武一が不正を働いているという考えをあらためなかったことからすると、右の考えは合理的説明によっても訂正不能のものといえる、被告人は、捜査段階で、悦子の話が間違っておれば、本件文書の記載内容も間違っている可能性があるなどと供述しているが、これは、右の仮定そのものが間違っていることを言外ににじませた供述であって、決して、右記載内容が真実に反することを認めたものではない、また、被告人は、捜査段階で、一時本件行為が名誉毀損に当たることを認める供述をしているが、それは身柄拘束等によりパラノイアのエネルギーが消耗していた時期に、早期に釈放されるための便法としてなされたもので、その後直ちに撤回されてもいるから、そのことは右の判断の妨げになるものではない、<2>被告人は、武一や郁夫に電話をしたり、直接会った際に、疑惑の真偽を確かめることをせず、ビデオを持ち歩き、会見の模様を録画するなど、相手が不正を認め謝罪するのを待つという行動をとっているが、これは妄想のある人がとる対人接触の特徴的な行動パターンである、<3>被告人が、その考えに基づいて、本来の医業を犠牲にし、常軌を逸した激しい闘争行動に出ていること自体が、右の考えがパラノイアによる妄想であることを示している、などの諸点を挙げている。そして、同鑑定は、これらの諸点に、妄想と闘争性が特定の人物を中心に扇状に拡がっていること、闘争標的に権力志向性がみられること、闘争行為が一旦目標を達成すると比較的穏やかになっていることなどをも総合して、被告人は典型的なパラノイアであると診断しているのである。
これに対して、保崎鑑定は、被告人の前記考えが妄想とはいえないと判断した理由として、<1>パラノイア患者の妄想は了解可能な妄想といわれているが、その実質はやはり首を傾けざるを得ないような理解しにくい部分を含むのが一般で、内容的にも原因となった対象そのものに直接向けられたものが多い、しかも、そのような考えが確固たるものとして持続するところに特徴があり、方便のために一時的にその考えが誤っていることを認めることなどということは考えられない、しかし、本件の場合、高塩武一と海老原建設との間に不正があるという考えは、悦子からの情報などから通常推測可能なもので格別理解しにくい部分はないし、その内容は原因となった同女に対して直接向けられたものでもない、被告人は、捜査段階で本件行為が名誉毀損に該当することを認めたり、その後現在では右の考えは妄想だったと述べるなどしているが、これでは妄想が確固たるものとして持続しているとはいえない、石黒鑑定では、被告人の闘争行為は一旦目標を達成すると比較的穏やかになっていることをパラノイアの特徴の一つとしてとらえているが、これはむしろ、確固たる妄想がなかったことを示していると理解すべきである、<2>石黒鑑定は、被告人は武一や郁夫に疑惑の真偽を確かめることをせず、相手が不正を認め謝罪するのを待つという行動をとっているとして、この点を妄想のある人がとる対人接触の特徴的な行動パターンとしているが、同鑑定は、被告人の闘争行為の激しさからパラノイアと判断している傾向が強く、被告人の考えが妄想かどうかを十分に吟味しているとはいえない、右の点も後から付けられた説明との印象を払えず、説得力のある論拠とは思えない、などの諸点をあげ、更に、被告人がパラノイアではないと考えられる理由として、前記の準強姦事件等は、悦子との不仲、別れなどをきっかけとして敢行されたもので、本件と無関係ではなく、本件との違いは単に攻撃方向の違いと理解されるが、パラノイア患者は、倫理的には意外に厳しく、右のような非倫理的な行為をすることは比較的少ないことなどを挙げている。
そして、双方の論拠を、本件証拠上認められる周辺の関連事実、被告人の日常行動全般にわたって認められる性格的特徴などを総合してみると、本件については、保崎鑑定の方がより合理的で説得力を有するものと考えられる。
まず、妄想とは合理的説明をもってしても訂正不能な謬見とされているが、本件の場合、高塩武一が海老原建設から不正な利益を得ているという考えは、その真偽のほどは別にして、推測という限りにおいては一つの合理的な見方であり、内容的に格別不自然なものではない。これに対して、武一が正当な役員報酬だと口頭で述べたのを被告人がすぐに聞き入れなかったとしてもそのこと自体は別段不思議ではないのであって、その意味ではこの点に関する被告人の本件考えは、そもそもはじめから合理的説明をもってしても訂正不能の謬見といえるものであったかどうか大いに疑問があるところといわなければならない。また、石黒鑑定が、被告人が、捜査段階で、悦子の話が間違っておれば、本件文書の記載内容も間違っている可能性があると供述していることについて、これを右の仮定そのものが間違っていることを言外ににじませた供述であるとするのも、いささかこじつけにすぎると考えられるし、被告人が、捜査段階で本件行為が名誉毀損に該当することを認めたことを、早期に釈放されるための方便と解することも、訂正不能の妄想が問題になっている本件の場合、便宜的解釈にすぎるとの感を拭えない。むしろ、関係証拠によれば、本件文書の末尾には、「このチラシの内容については、あらかじめ高塩一家に通告済みであり、異議の申し出はなかった。」と記載されているが、そこにはこのとおり相手方の反論がないと記載することによって、文書の記載内容が虚偽ではないことを多少でも裏付けようとする配慮がはたらいていることを読みとることができるし、また、被告人は武一の近隣に本件文書を頒布した後、自ら喜連川警察署に出頭し、「今、ビラを配ってきましたから一応届けます。後で高塩さんから連絡があると思います。」と申告した事実があるが、そこには警察沙汰になることを予想して先回りの手を打とうとしていた計算を感じ取ることができる。これらの事実を含めて検討すれば、被告人の前記供述は、やはり被告人が本件文書の記載内容について十分な確信を持っていなかったことを示していると考えるのが、自然な理解というべきであって、そうすると、被告人の前記考えは、この点においても訂正不能の妄想としての特徴を備えていないと考えられる。更に、石黒鑑定が常軌を逸した激しい闘争行為として説明する諸点は、本件証拠上、被告人の日常行動全般にわたって認められる顕著な性格偏奇や闘争性等によって十分説明可能な状態、むしろそう考えるのが自然な状態にあると思われる(例えば、被告人の性格特徴について、関係者らの中には、けちという面を挙げる者がいるが、そこで指摘されているのはかなり激しい内容で、例えば手術の際に手袋をしない、ガーゼの代わりに手拭いを使う、客の残したコーヒーを温めなおして飲む、薬ビンに佃煮のビンを使う等というのであるし、また自分が常に正しいとの考えで、自分の興味以外に聞く耳を持たない傾向が目立つと指摘されてもいる。更に、一寸したことで他人を陰湿にいじめる傾向が強いとされ、例えば娘の交通事故に関して、相手方の上司に電話をかけるだけでなく、社長に通告書を送ったり、店のサービスが悪いだけで相手をひどくいじめる等の事実が具体的に挙げられている。指摘されているこのような事実は、そのすべてが真実であるとは必ずしも限らないであろうが、しかし周辺の者にとって被告人の性格偏奇がこのように受け取られるほど激しく、かつ、目立っていたこと自体は争えない。)。右のような観点からすると、被告人の本件考えが訂正不能の妄想であることを否定する保崎鑑定には納得できる点が多々あり、十分な理由があるというべきである。
以上によれば、被告人には、訂正不能の妄想という、パラノイアの最も特徴的かつ中核的な症状を認めることができず、被告人が本件犯行当時右疾患に罹患していなかったと考えるのが相当である。そして、証拠上、他に被告人が本件犯行当時責任能力に影響を及ぼすような精神的疾患に罹患していたことを窺わせる事情は見当たらない。前認定の本件犯行に至る経緯に照らすと、結局、本件は、悦子から一方的に交際の拒絶を宣告されてプライドを傷つけられた被告人が、前記のような性格的偏りから、悦子の関係者に加えた、意趣返しのための攻撃行為にすぎなかったとみるのが相当である。
六 以上の次第であるから、原判決が、原判示第一一の犯行当時、被告人が完全責任能力を有していたとの事実を認定して刑法三九条を適用しなかったのは正当であり、この点に関する原判決の法令の適用に所論指摘のような誤りがあるとは認められない。論旨は理由がない。
(秋山規雄 門野博 福崎伸一郎)